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佐竹氏の移封

更新日:2020年10月7日

1602年(慶長7年)5月、常陸54万石の領主佐竹義宣が出羽に入部してから2年後の1604年(慶長9年)から、秋田藩が木材の他国交易を始めていますが、その多くは大阪市場を背景とする上方商人が深くかかわり、北陸の海運業者によって運送されています。

この時期、役方の職制は整備されておらず、必要に応じてそれぞれの役人が任命されていましたが、勘定奉行・町奉行・野代奉行などは、藩政上不可欠の職として常置されていきます。

1619年(元和5年)、野代では2名の仲立役が置かれ、米代川流域の材木山を管轄する能代奉行の下僚である下代と上方商人の間に入って、木材取引を仲介しました。

すでに秋田氏の時代にも直営船を就航させていましたが、秋田藩でも早くから直営船を建造していました。

『梅津政景日記』によると1611年(慶長16年)に直営船が建造された記録があり、野代は帆柱などの船用材が豊富に確保できる土地であったことから野代で建造されています。

また、1624年(寛永元年)には千石船程度の遠距離航海に耐える大船を建造した記録もあり、日本海交易の中心である北陸の廻船業者も野代で舟を建造するなど、木材の供給地として、また渡海可能な大船の建造地としての地位を確立していったのです。

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