明治以降の船川港の歩み(年表)
明治11年 | 工部大学生概則を開始。 |
明治30年 | 測量概算設計。 |
明治33年 | 調査設計を終了。 |
明治34年 | 元設計を変更し内務大臣に案伺。 |
明治40年 | 更に測量設計。 |
明治43年 | 港湾調査会において重要港湾に指定。 |
大正2年 | 県単事業で海面埋立船入場を築造。 |
昭和2年 | 第2種重要港湾に編入(内務省告示第483号)。 |
昭和5年 | 5千トン岸壁を完成。 |
昭和6年 | 現在の施設の大要を完成。 |
昭和25~32年 | 工場用地として海面6,780㎡を埋立(失対事業)。 |
昭和26年 | 港湾法の制定により重要港湾に指定。 |
昭和32年 | 日本鉱業(株)でサブマリンパイプを設置(昭和45年廃止)。 |
昭和36年 | 政府の新長期経済計画により新5ヶ年計画を樹立し、整備の促進決定。 |
昭和38年 | 港湾整備5ヶ年計画の実施に伴い、7千トン岸壁1バースを現在の5千トン岸壁に続き着工。 |
昭和40年11月 | 秋田湾地区新産業都市に指定。 |
昭和42年3月 | 羽立地先及び金川地先海面埋立。 |
昭和42年6月 | 新産業都市指定に伴う木材コンビナート用地第一期工事として船川港の埋立開始。 |
昭和43年12月 | 7千トン岸壁完成。 |
昭和44年10月 | 木材コンビナート用地第一期工事完成。 |
昭和44年11月 | 木材コンビナート用地第二期工事着工。 |
昭和45年9月 | 木材コンビナート用地第二期工事完成。 |
昭和45年12月 | 日本鉱業(株)専用ドルフィン設置。 |
昭和47年3月 | 金川水面貯木場完成。 |
昭和47年12月 | -10メートル岸壁・-3メートル・-4メートル物掲場建設工事着工。 |
昭和48年5月 | 芦沢地区物掲場・船掲場建設工事着工。 |
昭和48年7月 | 金川防波堤完成(1,050メートル)。 |
昭和49年3月 | 芦沢地区船掲場完成。 |
昭和50年8月 | -10メートル岸壁、-3メートル・-4メートル物掲場完成。 |
昭和52年9月 | 本港地区再開発に伴う埋立工事着工。 |
昭和54年3月 | 生鼻崎トンネル完成。 |
昭和54年12月 | 日本鉱業(株)が48.4haの海面埋立を完成(昭和49年着工)。 |
昭和55年1月 | 女川地区埋立完成。 |
昭和55年3月 | 増川地区埋立完成。 |
昭和56年10月 | 羽立地区船掲場、-2メートル物掲場完成。 |
昭和57年1月 | 国家石油備蓄基地立地決定。 |
昭和58年4月 | 本港地区船溜り着工(防波堤)。 |
昭和58年8月 | 国家石油備蓄基地約71haの埋立免許認可。着工。 |
昭和58年10月 | 本港地区埋立完成。 |
昭和59年10月 | 増川地区船掲場完成。 |
昭和61年7月 | 県道秋田男鹿線の供用開始に伴い臨港道路(生鼻崎)の供用開始。 |
昭和62年1月 | 国家石油備蓄基地東基地(第1区域)54.3ha完成。 |
昭和62年5月 | 外ヶ沢地区物掲場埋立完成。 |
平成元年3月 | 国家石油備蓄基地東基地(第2区域)16.9ha完成。 |
平成元年11月 | 西基地タンク4基完成。第1次オイルイン。 |
平成4年12月 | 国家石油備蓄基地東基地一期工事タンク6基完成。第2次オイルイン。 |
平成5年5月 | 第3次オイルイン。 男鹿マリーナオープン。 |
平成5年12月 | 女川地区船掲場完成。 |
平成7年7月 | 第4次オイルイン(オイルイン完了)。 |
平成8年3月 | 外ヶ沢2号物掲場完成。 |
平成16年7月 | 改正SOLAS条約(海上人命安全条約)により、国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律に基づく制限区域を設定。 |
平成23年 | 「船川港第一船入場防波堤」「第二船入場防波堤」が選奨土木遺産に認定 |
平成24年 | 船川港周辺が「みなとオアシス船川」に認定 |
平成25年 | 「海フェスタおが」の開催 |
取扱貨物量など | 秋田港の歴史 |
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