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最初に、監督測量船「あきかぜ」に乗り込み、秋田港を視察しました。この日の秋田港にはたくさんの船が接岸し、向浜地区では大きなチップ船が荷役作業を行うなど、現在の秋田港は活発に活動していますが、日本海中部地震のときには、24バースあった岸壁のうち20バースが崩壊して利用できなくなったそうです。
その後、会議室に場所を移し、田村さんと中谷内さんから、日本海中部地震が発生した当時のお話を聞かせていただきました。
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日本海中部地震は、日本海沿岸に様々な被害をもたらし、秋田港や能代港でも地震による液状化や津波による木材の流出、さらに能代港では、工事作業中の海上作業員などが津波にのまれ34人が犠牲になるなど、大きな被害を受けました。
地震や津波により被災を受けた場合は、一刻も早い復旧が必要になります。特に、港が機能しなくなると、資材や物資が届かなくなるので、経済活動だけでなく、住民の生活にも影響がでることが考えられます。秋田港では多くの岸壁が崩壊し利用できなくなり、能代港では津波の力で巨大なコンクリートの塊であるケーソンが傾いたり水没したりするなど、復旧作業には大変な苦労をしたそうです。特に、地震直後の情報伝達の大切さと困難さ、また、港湾施設の被災状況の把握とその施設が利用可能かどうかの判断など、当時の苦労など貴重な体験が語られました。また、こうした緊急時において、当時の事務所職員は意識が高く、「自分たちで復興させるんだ」という強い気持ちで復旧工事に取り組んでいたとの話がありました。また、能代港では、工事作業者に津波による犠牲者が出ており、行方不明者捜索のため、災害発生後から約1ヶ月にわたり工事を中止したそうです。
当時能代港の復旧に携わっていた中谷内さんは、津波による被害が大きくなってしまった原因として、地震発生後ほんの20分程度で津波が来襲したこと、日本海沿岸の地震では津波はないという警戒心の薄さを挙げられました。今では、地震発生後約5分以内には津波情報が流れるようですが、それでもたった20分で津波が来襲した場合、津波に対する警戒心が薄ければ、すぐに避難等の対応をすることは難しいように思われます。
日本海中部地震の教訓として、津波体験者の避難体験記録を海上作業員へ教訓として伝えていくことや、日頃からの心構えとして、情報収集・伝達に必要な情報網の確立なとを挙げられました。また、田村さん、中谷内さん共に、被災の記憶を風化させず伝え続けることが大切であると話されました。
最後に、講師の田村さん、中谷内さん及び防災エキスパートの皆さんと意見交換及び質疑を行い、さらに災害時の対応について理解を深めました。
私たちは、このような体験者のお話をもとに、地震や津波災害の恐ろしさを再認識し、今後の港湾整備に関わっていきたいと考えております。














