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学習コーナー
> 三沢空港整備の道のり
食料の海外依存率と八戸港
貿易量の99.8%は港から
取扱貨物量と輸移出入国
船の名前と特徴
船の役割
外貿コンテナ定期航路
旅客機だけじゃなかった
めずらしい三者共同使用
利用客と取扱貨物量の推移
港の全体を知ろう
主な施設の役割
岸壁の役割を知ろう
岸壁のつくり方
岸壁の構造様式のちがい
防波堤の役割を知ろう
防波堤のつくり方
応急方法だった沈船防波堤
空港の施設地図
主な施設の役割
三沢空港整備の道のり
空港の種類と滑走路
小さな漁港だったんだよ
昭和4年に八戸港となる
北東北最大の物流拠点
市民に愛される八戸港に
グローバルネットワーク
環境・安全港湾を目指して
昭和17年(1942年)三沢海軍飛行隊の飛行場として開設された三沢飛行場に、民間航空機の乗り入れができるようになったのは昭和27年のことでした。
その後、基地外の東端に民航ターミナルビルが完成したのが昭和52年、民航エプロン(No.1~2)の運用開始は昭和59年のことでした。これらの諸施設を維持管理するために、空港管理施設として昭和57年度には東京航空局三沢空港事務所新庁舎が建設されています。
このように、現在の民航ターミナル地域「三沢空港」としての整備は、せいぜい40年くらいしかたっていません。それからの主な施設整備は、民航ターミナルビル新築移転、駐車場運営開始、エプロン(No.3)運用開始(昭和60年)、医療資器材搬送車両の車庫完成(平成6年)、空港用救難照明車両の車庫完成(平成10年)などがあります。
三沢空港は、在日米軍、航空自衛隊、民間航空の三者共同使用というめずらしい形態ですので、施設整備にも米空軍・海軍、三沢防衛施設事務所、その他の諸機関との調整が大変だったようです。
整備中の三沢空港(昭和57年) 供用中の三沢空港(平成14年)
【劣化した舗装の改良工事】
供用から30年以上が経過したエプロンは、表層面の凸凹・剥離が広範囲で発生していたことから、同様に劣化の著しい取付誘導路と併せて航空機の安全な運航を確保するため、平成28年から2ヶ年にわたって舗装改良を実施しました。
エプロンの舗装工事(平成29年) 完成(平成29年)