東日本大震災から7年を迎えて

     

東日本大震災から7年を迎えて

 

忘れようとしても消し去れないあの日、東日本大震災から7年を迎え、あらためて犠牲になられた多くの御霊に哀悼の意を表すとともに、未だ震災の影響によりご不自由な生活を強いられている多くの皆様には心よりお見舞い申し上げます。

7年の歳月の流れは、早かったものなのか遅かったものなのか、人それぞれに違った感覚が有ろうかと思われますが、被災地の姿は確実に変化を遂げており、目に見えるかたちで復興の外観が整いつつあります。このような目に見える外観が、皆様が思い描いた復興の姿なのか或いは想像だにしない姿となったのかは置かれているご境遇、見る視点など、これもまた人それぞれに違った感覚が有ろうと思いますが、引き続き多くの力の結集で一歩ずつでも復興・創生が進むことを願って止みません。

 

さて、私ども釜石港湾事務所では、震災直後から久慈港、宮古港、釜石港、大船渡港の復旧・復興事業を継続しております。おかげさまで大船渡港湾口防波堤の復旧工事は昨年3月末に完成し、釜石港湾口防波堤の復旧工事につきましても昨年の迷走台風での時化の影響などを受けたものの最終函のケーソン(防波堤を構成するコンクリート製の大型の箱)を昨年11月には据付け、何とかこの3月には完了の見込みとなりました。さらには、久慈港湾口防波堤及び宮古港竜神崎防波堤などについても引き続き事業を進めており、特に、久慈港湾口防波堤については、昨年度の南堤側ケーソンの据付完了とともに北堤側の延伸を加速化させ早期完成に向け鋭意、整備に努めて参ります。

 

東日本大震災から7年が経過して三陸沿岸地域も新たな段階に入ったと実感しております。釜石港湾口防波堤の完成によって直轄港湾の災害復旧工事が全て完了することとなり、沿岸地域の各所では巨大な防潮堤が姿を現し、低地の嵩上げによる人工台地の形成が随所で完成し住宅再建が目立ってきました。このような日々変わる外観上の変化によって復興の歩みが実感として積み上がっていくのではないでしょうか。

復興・創生の歩みを「港」に転じますと、宮古港では、今年6月22日から北海道室蘭港と結ぶ岩手県内初のフェリー航路が営業運航を始め、新たな人や物の流れが期待されます。また、宮古港へは大型クルーズ船の寄航も多く予定されており、みなとからの地域の賑わい創出が大いに期待されるところです。

釜石港では、コンテナ国際フィーダ航路に加え国際航路の増設やコンテナふ頭において岩手県内初となるガントリークレーン(コンテナ専用クレーン)の設置などが行われ取扱コンテナ量も飛躍的に増大しており、港を玄関口とした世界に開かれた物流港湾として、その役割が益々期待されるところです。

大船渡港では、引き続きコンテナ国際フィーダ航路による物流の活発化は基より、地元立地企業の新たな事業展開や岩手、宮城両県で計画が進むILC(国際リニアコライダー)対応としての港湾活用などが大いに期待されます。

久慈港では、立地企業の増産体制による港湾立地用地の拡大や港近隣でのバイオマス発電事業の開始による燃料輸入基地となるなど港湾利用が活発化しています。

 

各地域での港湾活動の活発化は、港の復旧、復興が進むなかでのことは勿論ですが、三陸沿道路などの復興道路、復興支援道路の整備促進とも相俟って、この地域が他地域と遜色ない公共インフラ整備が進んでいることが大きな要因でも有ります。今後はこれらの公共インフラを大いに活用して、人や物が集まり船やトラックが頻繁に出入りして、三陸沿岸地域全体が盛況に躍動することが正に目に見える復興になると考えております。

 

釜石港湾事務所では、震災後7年を迎え、これからも地域の皆様と手を携え久慈港、宮古港、釜石港及び大船渡港の復興事業や利用拡大に向けた取り組みを推進し、この地域の経済や雇用を押し上げ復興・創生が加速し「奇跡の三陸復興」となることを祈願しつつ、地域の皆様と一丸となって歩みを進めて参ります。

          平成30年3月9日釜石港湾事務所長 下 澤  治  180309simozawa1.JPG   



   


   
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