津波の歴史と明治29年の大津波

 明治29年 三陸大津波(資料提供/釜石市郷土資料館)
明治29年 三陸大津波(資料提供/釜石市郷土資料館)

 三陸海岸は、その地形的特徴から三陸フィヨルドとも呼ばれ、矩形やU字型に入り組んだ海岸線は、地震に伴う大津波の度に、大きな被害を受けてきました。
歴史に残る大津波の記録は、860年、1611年、1616年、1676年、1696年、1835年、1856年、1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)と続きますが、ほかにも大小数多くの津波が、三陸海岸に襲来しています。
明治29年の大津波は、6月15日の旧端午の節句の夜に起こりました。最初の地震が7時32分に発生し、その後、釜石沖約200キロを震源(マグニチュード7.6)とする大小11回の地震が約1時間に渡り断続的に続きますが、8時2分に発生した地震がもっとも大きく、それから約20分後に海水が大きく引きはじめ、やがて三陸海岸は近代史上最悪の巨大津波の襲来を受けます。
三陸海岸の湾口における津波の波高は、気仙郡綾里で22メートル、同吉浜24メートル、重茂村18、9メートル、田老14、6メートル、田野畑羅賀22、9メートル、野田玉川18、3メートル等が、記録として残っていますが、ところによっては40メートルをゆうに越えたという話も残っています。
三陸海岸の被害の概況は、宮城県においても死者3,452名、流失家屋も3,121戸を数えました。岩手県においては、気仙郡32,609名中、死者6,748名(全人口中21%)。吉浜村人口1,075名中死者982名。上閉伊郡人口16,259名中、死者6969名。釜石町人口6,529名中、死者4,985名。下閉伊郡人口35,482名中、7,554名が死亡しています。
四郡の死者数は、全人口の22%にあたり、山間部の人口を考えれば、いかに海岸部の被害が大きかったかが分かります。また、四郡の総戸数(17,211戸)のうち、6156戸(全戸数の36%)が流失しており、この津波の凄まじさを物語っています。
特に田老の被害は激甚を極め、1,859名が死亡し、生存者はわずか36名だったと言います。