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チリ地震津波と被害

更新日:2020年10月20日

  • チリ地震津波での海面の変化(1)

    チリ地震津波での海面の変化(1)

  • チリ地震津波での海面の変化(2)

    海面の変化(2)

  • チリ地震津波での海面の変化(3)

    海面の変化(3)

昭和35年5月24日午前4時30分頃、三陸沿岸は突然大きな津波に襲われます。その津波の性質は、明治29年や昭和8年の津波とは異なり、地震もなく突如として襲来した感がありました。海を良く知る古老の中には、「これは津波ではなくてヨダ(海嘯)の大きなものだ」と表現する人もありましたが、ヨダとは前触れもなく「ノッコノッコ」と押し寄せてくる津波のことを指す方言でもあり、このような種類の津波が度々三陸海岸に襲来していた証左だと主張する研究者もあります。

ともあれ、南米のチリで発生した大津波は、一昼夜かけて三陸海岸に到達しました。太平洋をジェット機なみの速度で走り抜けた重い水の波動は、三陸沿岸に思いがけない大きな被害をもたらしました。三陸海岸における被害は、死者61名、被災世帯6,832戸(35,279名)、流失家屋472戸、全壊家屋472戸、半壊1,100戸、浸水家屋4,656戸に及び、岩手県内の被害総額は82億余円に達しました。
チリ地震津波は予期しない大きな被害をもたらしましたが、田老町は万里の長城と呼ばれる防潮堤に守られ、これといった被害はありませんでした。また、その後も、十勝沖地震による津波(昭和43年5月16日)はじめ、幾つかの大小の津波に見舞われていますが、防潮堤の設置や港湾の整備された地域の被害は、最小限にとどまっています。

(資料提供/釜石市郷土資料館)

チリ地震津波と被害についてお知らせします。