久慈港のあゆみ・沿革
更新日:2020年9月16日
久慈港のあゆみ 日本のエネルギー基地 県北第一の港湾
三陸海岸の北部に位置する久慈港は、陸中海岸国立公園に指定されています。
付近一体は、良好な漁場として、古くから漁業のまちとして栄えてきました。
同港を擁する久慈市は、古くから良質の琥珀の産地として知られ、大和朝廷の時代から琥珀の交易が行われていました。
漁業基地として、また、藩政時代には砂鉄、塩、海産物の主産地として栄えました。
大正11年に内務省の指定港湾となり、昭和7年から24年にかけて時局匡救事業(注)、凶作対策事業として現在の玉の脇地区の一部が県営工事として建設されました。
また、久慈沖での船舶の遭難が多いことから昭和26年に全国避難港19港の1つに指定されました。
昭和44年、諏訪下地区に掘込式港湾が完成、漁業基地としての役割が広がったことと、背後圏からの石材や木材などの移出により、商港としての利用も活発化しています。
昭和50年に、重要港湾指定されました。
久慈市では「海洋にひらかれた都市」づくりを目指して、昭和59年には久慈新港に1万5,000トン岸壁が完成、昭和62年には国家石油地下備蓄基地の建設が始まり、平成6年に完成しました。
現在は県北地域開発の中枢機能を備えた湾口防波堤の建設、半崎地区の工業開発を中心とした港湾整備が行われています。
注:時局匡救事業(じぎょくきょうきゅうじぎょう)昭和7年から9年に景気対策を目的に実施された公共事業
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日本地下石油備蓄株式会社久慈事業所
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将来計画図
主な取り扱い貨物
移出
非金属鉱物、その他輸送機械、木材チップ、その他
移入
鋼材、水産品、その他
久慈港の沿革
西暦 | 年月 | 組織名 |
---|---|---|
1922年 | 大正11年 | 内務省指定港湾となる |
1951年 | 昭和26年 | 避難港に指定 |
1966年 | 昭和41年 | 諏訪下地区堀込式久慈港開港 |
1975年 | 昭和50年 | 重要港湾に指定 |
1984年 | 昭和59年 | 久慈港諏訪下ふ頭開港 |
2011年 | 平成23年 | 東日本大震災 |
2013年 | 平成25年 | 災害復旧(直轄)事業完了 |
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