雄物川の舟運
更新日:2020年10月7日
舟運で盛んな交易
江戸時代の土崎湊(秋田港)は、西廻り航路で日本海側の主要港を通って京・大阪と結ばれ、交易が盛んに行われていました。
これとともに、雄物川を利用した内陸との舟運も盛んになり、雄物川流域農村の米などの農産物が各船場から蔵宿の手を経て川下げされ、土崎湊から衣料や日用品の紙類それに塩や海産物などが川上げされ、在方市場もでき、川を利用した流通・交易が盛んに行われました。
雄物川とその支流河川において、船着場として確認できるものは120か所におよび、それらのなかで、浜蔵などの施設を有し、河港として機能したものは約30か所といわれています。
河港と船着き場
河港=大きな船着き場で浜蔵や浜宿があり、商取引が盛んな所で荷物を運ぶ道路も整っていた。
船着場=単に荷物の積卸しをするところで、浜蔵もない。
渡船場=対岸に人や荷物を運ぶ。
河舟の種類
胴船=米穀の輸送に使用され、二百俵から百俵積んだ。
馬船=馬・薪炭・カヤ・刈り草等を積んだ。
川舟=雄物川で最も多く使用された長さ8.5メートル、幅0.6メートル、縁高0.35メートル程度の舟。
注:その他、砂利船、網ひき船、人渡し船等があった。
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