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伊達政宗とサンファン号物語

更新日:2020年10月20日

江戸時代

奥州王と呼ばれた伊達政宗が仙台平野に居城を構えたのは、徳川家康によって天下統一が行われ江戸時代となった、西暦1601年のことです。

政宗は、当時まだ原野が広がっていた仙台平野に、仙台城を築城して城下町を形成するとともに、耕土を広げるため北上川を開削して石巻港を整備し、水運の要となる日本一の運河・貞山堀(全長約46キロメートル)を構想するなど、壮大な事業を着々と実現していきました。

慶長18年(1613年)には、ローマ・スペインとの交易を結ぶために、藩の総力をあげて国内最大の帆船サン・ファン・バウティスタ号(500トン以上)を建造。親書を携えた支倉常長以下180名の慶長遣欧使節をローマに送っています。

石巻市月ノ浦を出港した一行は、3カ月で大平洋を横断、メキシコに上陸した後、スペイン艦隊に乗船して日本人として初めて大西洋を横断し、1615年10月29日にローマに到着、同11月3日には法王パウロ5世への謁見を果たしています。

その後、徳川幕府のキリシタン弾圧・鎖国政策により、政宗が構想した国際交易は夢に終わりますが、当時の航海技術、日本内外の情勢を考えると、世界的に注目されるべき快挙であったことがよくわかるのです。

平成5年、サン・ファン・バウティスタ号は当時のままに復元されました。石巻市にある帆船ミュージアム・サンファンパーク(外部サイトにリンクします)内に係留され、内部を見学することができます。

  • 支倉常長の画像

    支倉常長

  • 石巻市月浦の画像

    石巻市月浦