キッズコーナー:青森港の歴史(問題1の答え) 更新日:2021年11月17日 正解(せいかい)はその名(な)のとおり、”青い(あお )森(もり)”があったからです。 青森(あおもり)という地名(ちめい)は、江戸(えど)時代(じだい)前期(ぜんき)の1625年(ねん)(寛永(かんえい)2年(ねん))、青森市(あおもりし)に港町(みなとまち)の建設(けんせつ)を始めた(はじ )ときに名付けられ(なづ )、当時(とうじ)は、現在(げんざい)の青森市(あおもりし)本町(ほんまち)付近(ふきん)の青い(あお )森(もり)が、港(みなと)に入る(はい )船の(ふね )目印(めじるし)になっていたと言われて(い )います。 江戸(えど)時代(じだい)、青森港(あおもりこう)から江戸(えど)(東京(とうきょう))や大阪(おおさか)へ、米(こめ)や魚(さかな)などが大きな(おお )木造(もくぞう)の船(ふね)で運ばれて(はこ )おり、日本(にほん)海側(かいがわ)を通り(とお )、北海道(ほっかいどう)と大阪(おおさか)を行き来(い き)し、商品(しょうひん)を運んだ(はこ )船(ふね)は『北前(きたまえ)船(ぶね)』と呼ばれて(よ )いました。 この頃(ころ)の船(ふね)にはエンジンがなかったので、風(かぜ)を使って(つか )船(ふね)の舵(かじ)をとっていました。 航路(こうろ)と主(おも)な経由港(けいゆこう) 全長(ぜんちょう):32メートル積める(つ )貨物量(かもつりょう):150トン(千石積(せんごくつみ))