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能代港

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産業のはじまり

初期北国海運図

 河村瑞賢によって、1671年(寛文11年)に東回り航路が、1672年(同12年)には西回り航路が開発されてから野代湊への影響も大きく、売り買いの商人も多く出入りし町は一層繁盛するようになりました。
1855年(安政2年)、江戸湯島天神の大越屋の発行した「諸商人細見」に能代の船問屋や商店として、長崎御用銅廻船問屋小玉五兵衛・同谷内孫佐衛門・廻船問屋清水九兵衛・同伊勢屋新三郎・同越後屋太郎右衛門等々、港口には、廻船取扱浜栗屋敦賀屋佐平次・宮越屋三蔵・越後屋三太郎・若狭屋九兵衛・浜栗屋庄八など詳しく紹介されています。

 佐竹氏が入部した秋田藩の、米代川流域から苅り出される秋田杉は名声の高いものでした。この優れた材木を出す背景に地元産業の進展がありました。能代には「木山方役所」を設け、さらに御材木場を大館と十二所に、御払所を檜山に置かれていました。

 

 湊には船の出入りを厳しく監視する「舟出入改番所」が設けられ、頻繁に出没する異国船や漂着するものなどに対して備えるため「唐船見張番所」もつくられていました。こうして野代湊は日本海交易の要港として北前船の出入りもあり、さらに賑やかになっていったのです。

北前船

「北前船」の大きさは、千石船で
長さ=約28m、
幅=約8m、
高さ=約2.5m
でした。

 

取扱貨物量 能代港の歴史