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【学習コーナー】八戸港の歴史と将来像

 

1.港とくらしについて

2.港と空港について

3.港と空港のしくみ

4.八戸港の歴史と将来像

昭和4年に八戸港となる
 
現在の臨海工業地帯のようす
現在の臨海工業地帯のようす
大正8年(1919年)からの鮫漁港修築工事は、ケーソンヤードを築いての本格的なものでした。しかし思うように進まず、本当の意味で発展するのは昭和4年(1929年)の内務省による「商港」指定からでした。ここではじめて鮫漁港と湊川口を合わせて「八戸港」とよばれるようになったのです。
昭和4年に八戸と岩手県の久慈間の鉄道が開通したことによって、(1)鮫漁港が松尾鉱山(岩手県松尾村)の硫化鉱の輸出港になったこと、(2)松館の石灰採掘所(今の住金鉱業)から運ばれた石灰を使っていた日の出セメント(今の八戸セメント)も、鮫漁港に専用倉庫をつくり商港としての利用がふえたこと、などが指定を受けた理由でした。
その後、昭和12年に第一工業港をつくるために馬淵川の河道切りかえ工事が始まり、15年には内務省仙台土木出張所八戸港修築事務所(今の八戸港湾・空港整備事務所)が設置されました。そして、昭和26年には重要港湾の指定を受け、八太郎地区に第二工業港がつくられるのは34年ころからです。やがて39年の新産業都市の指定もあって急ピッチに整備が進み、現在のような一大臨海工業地帯ができあがったのです。
 
白銀地区にある八戸セメント工場と住金鉱業専用岸壁のサイロ
白銀地区にある八戸セメント工場と住金鉱業専用岸壁のサイロには、松館にある八戸石灰鉱山から地下ベルトコンベアーによって直接、石灰が運ばれています
  昭和15年ころの八戸港昭和15年ころの八戸港
昭和32年、建設中の火力発電所と馬淵川護岸工事   昭和35年ころの八戸港
昭和32年、建設中の火力発電所と馬淵川護岸工事   昭和35年ころの八戸港
 
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